タイの田舎の水不足を甘くみていました。農業を営む大変さを身にしみて感じている五十代アクティブニートの川島です。
今回は、ボクの歩んできた軌跡シリーズ エピソード4(Episode PartⅣ)をお送りしたいと思います。
ボクの歩んできた軌跡シリーズ エピソード3(Episode PartⅢ)では、バブルが終焉を迎えつつあるのに、何も知らずに親父の建設不動産会社に入社するところまでお話しをしていましたね。
バブルの終焉なんて想像だにしていなかったボクは、親父の建設不動産会社に入社
時は、まさに絶賛!バブル真っ只中でした。ボクのアタマの中はこんな感じだった。
[tip]学生の頃、親父の会社にお小遣いを貰いに遊びにいったとき、お財布の中が100万円札の束が2つほど入っていた記憶が。
きっと、景気もいいし給料も結構貰えるんじゃないかな!ウッシッシ(笑)
[/tip]
こんなほんわかした感じで、入社してきた。
ところが、入社してみると月給は15万円からスタート!あとは、頑張り次第!
それでも、社宅の提供を受けられたり、二級建築士の講習費用は会社持ちだったりと優遇はされていたと思う。
その後は、必死に働いていて勉強していた記憶がある。朝から夕方まで営業やCADの使い方、その他には経理についても経理担当者が癌で会社を長期離脱するということもあり、経理業務の引き継ぎなど。
夜は、日建学園で二級建築士の講習を半年間必死に続けていた。
秋には、二級建築士の学科と製図の試験にパスして晴れて二級建築士として建築営業に邁進することになる。
バブルの終焉は、いともあっけなく始まった!
そんな中、親父から相談が。
所謂、バブル崩壊とともに始まった金融機関の引き締めだった。
いや~、このときの金融機関の対応は超がつくほど早かった。あっという間に、会社や代表取締役の定期預金など資産の凍結も始まった。
ボク自身も会計業務に携わり始めていて、数字をみていて明らかに収支のバランスを崩していて危ないとは思っていた。借金は、最大9億円まで膨らんでいた。
それから、半年間というもの会計の書類作りに翻弄されていた。持っていたアパート物件、マンション物件、リゾート物件すべてを売りに出しながら、延命を図っていたがついに倒産することになる。
新しい建設不動産の会社を立ち上げることに
ボクは親父の会社の代表者でもなければ役員でもなく、また株主でもなかったため、自分で別法人を立ち上げて会社の代表として会社を経営することになった。当時、ボクは26歳。
幸いなことに、下職さんや大工さんは協力的で新しい会社でもすぐに仕事をする体制を作ることはできた。
当時、アイディアで営業を廻る地域の古い家屋を登記所で閲覧して、借入金額や築年数等を調べてそれをデータベース化して、築年数が古く住宅ローン残高が少ないお客様にターゲットを絞って、頭金0円住宅建て替えをパンフレット等で開拓していった。
また、受注した注文建築の施主にお願いをして現場見学会を、地域にチラシを3万部ほど新聞折込して開催した。これが、スーパーヒット!現場見学会を中心に受注がどんどん膨らんでいった。このチラシデザインは、恩師でもある友人の広告会社に依頼した。
また、中古でポルシェ911を購入したお店のオーナーと意気投合。そのときのエピソードは今でも覚えている。
ポルシェのお店にウエットスーツが掛かっていた。
ってことになり、ジェットスキーを新潟のマリーナに移動して海で一緒に遊ぶようになった。そんなとき。
こんな話しから、一緒に建売住宅の企画をやることに!また、このときは、輸入建材をカナダまで行って輸入をしたり、ロサンゼルスやラスベガスの住宅を視察して、ツーバイフォー工法を取り入れたアメリカン仕様の住宅デザインが顧客にも受け入れられた。
この企画が、バブルが終わっていたにも関わらず、練馬で一箇所(4物件)、池袋で一箇所(3物件)と成功してあっという間に売れてしまった。ボクは、建売住宅の建設と各物件の不動産仲介をさせてもらって利益をあげることができた。
また、このポルシェの社長から蒸留水を販売する会社を紹介していただき、蒸留水を作るプラント設計および工場建設を依頼されたりもした。
実は、ボクのこの会社、妹とボクの二人で回していた。会計業務は妹に任せて営業・設計・管理はボクが担当し、ボク一人で最大10件の住宅を管理していた。もう、パンク状態!
朝5時に出発して、注文住宅の上棟式をしてその後、他の物件を現場管理、夜は会社に戻ってきて設計見積もり、経理業務をこなして会社で仮眠して、また朝5時に出るという生活を2年くらい続けただろうか。
会社の売上は、妹と二人で最高3億6千万円を売り上げる会社に成長した。しかし、家族と過ごす時間はほとんど取らなかったと言ってもいいだろう。仕事と遊びに夢中だったということもあると思うが。
この会社で注文建築を請け負うようになって、この先、ボクの人生がどん底に転がりおっこてく中でも、見捨てないでいてくれた生涯の友とも言えるお二人に出会うことができたのは、ボクにとって財産だ。
ボクにとってのバブルが弾ける瞬間だった!
順風満帆と思えた会社も、少しずつ陰りが見え始める。きっかけは。そう。1997年、当時の四大証券会社のひとつであった「山一證券」が破綻したことだった。銀行と証券会社は潰れないと言われていた時代に、「山一證券」が破綻した衝撃は大きかった。
この時期は、北海道拓殖銀行や長銀も破綻に追い込まれた時期だ。
世の中が、不安定な状況に追い込まれて、ボクがポルシェの社長と企画した3か所目(4物件)が全く売れなくなってしまった。今でも覚えているが、ビックリするほど広告の反応もなかった。
また、住宅産業もより価格競争に飲まれる形で粗利益率もどんどん下がり始め、最後には15%を切るような物件も出てきた。
ボクは、30歳手前で最大級の決断をすることになる。24歳から始めた建設不動産を辞める決断を!
幸いにも、下職さんや大工さんに未支払いはなく会社を閉めることができた。が、ポルシェの社長には、大変ご迷惑をお掛けすることになってしまった。
こうして、ボクにとってのバブルは終焉を迎えることになった。
この建設不動産の会社を閉めるときに、手元資金は1500万円ほどあった。次なるビジネスを立ち上げることはなんとかなりそうだが、皆目見当がつかない状況だった。
そこで、恩師である友人に相談をすることに。そのとき、勧められたのはこれっぽっちも頭になかった業種だった(笑)
こうやって、振り返ってみるとボクは人との出会いで生かされているような気がする。
おっと、もうこんな時間!
今日のところは、このへんで。サワディクラップ!
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