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常に崖っぷちのボクの人生を彩った女性たちからの学び | 五十の手習い!タイの地で足るを知る
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常に崖っぷちのボクの人生を彩った女性たちからの学び

サワディクラップ!

いつも崖っぷちの人生を歩んでいて、いつ脱出できるんだろうとモガイている五十代アクティブニートの川島です。

 

ボク
今日は、ボクの人生を彩った女性たちをご紹介しますよ。
読者のみなさん
いやっ!そういうのいらないから!

ボク
まあ、まあ、そう言わずにお付き合いください。

 

 

ボクの人生で、愛するってことを教えてくれた女性 R.A

まず、ご紹介するのはボクの人生で初めて、女性を愛するということを教えてくれた女性R.Aについて。

出会ったのは、確か19歳のときで赤いスイートピーを歌いながら告られてすぐにフラれるという苦い恋愛のあとに同じバイト先で知り合った2つ下の女の子。

 

赤いスイートピーさんのくだりが気になる方は、こちらからどうぞ!

タイに移住するまでのボクが歩んできた軌跡(episodeⅡ)
こちらの記事は、2015年12月13日にポストした記事の大幅リライト版になります。 タイの田舎町ペッチャブーンにて移住して早4ヶ月が経ちました。少しずつ、タイの田舎暮らしにも適応しつつある五十代アクティブニートの川島です。 今回は、ボクの歩...

 

彼女がバイト先に入ってきてきたときは、ボクはすでに赤いスイートピーさんとお付き合いしていたので、特には気にしていなかったのだが!というより気にしないようにしていたと言う方が正しいかと(笑)とにかく、超がつくほど美人さんだったから。気になっていたに違いない(笑)

ほどなくして、赤いスイートピーさんにフラれてた瞬間といってもいいだろう。すぐに告白したところ、これがなんとR.Aちゃんも気になっていたとのこと!ということで、すぐにお付き合いが始まる。

 

彼女との恋愛中は、バブルの真っ只中!親父の会社(建設不動産)で鳶のバイトをすれば、日給5万円の時代!(笑)夏に20日ほど働いた100万円を使って片っ端からダイビングのアマチュア資格、インストラクター資格を取得していた時期だ。

ダイビングのインストラクターを目指していた中でも、一生懸命応援してくれていたのを覚えている。

ダイビングの学科の模擬インストラクションにも、よく付き合ってくれたし、学科で使う小道具も一生懸命作ってくれた。

彼女自身もダイビングをはじめて、ボクがインストラクターになったあとにダイブマスターを認定したのもボクだった。

正直、今まで付き合った中ではピカイチの美人さんだったと思う。確か、ダイビングワールドという雑誌でダイビングクイーンにも選ばれているはず。

 

その後、その彼女をボクが働いていたダイビングショップのお客さんに寝取られるという事件が勃発して幕を閉じることになる。その衝撃は凄まじいものだったと記憶している。かめはめ波の方がまだましな衝撃波だ。ただ、その原因はボクの彼女に対するひどい言動だったと思う。

その衝撃なお話しは、こちらからどうぞ!

タイに移住するまでのボクが歩んできた軌跡(episodeⅡ)
こちらの記事は、2015年12月13日にポストした記事の大幅リライト版になります。 タイの田舎町ペッチャブーンにて移住して早4ヶ月が経ちました。少しずつ、タイの田舎暮らしにも適応しつつある五十代アクティブニートの川島です。 今回は、ボクの歩...

 

それでも、彼女には、はじめて女性を愛するってことを教わったような気がする。

 

ボクの人生で、家族の大切さを教えてくれた女性 Y.K

次にご紹介するのは、日本人では唯一結婚した女性 Y.Kだ。

彼女との出会いは、R.Aを寝取られて立ち直れない状況の中で、転職した先のスポーツクラブで知り合うことになる。

彼女は、そのスポーツクラブのフロントで受付業務を担当していた。入社してほどなくして、フロント業務をしている彼女の笑顔に一目惚れ(笑)

彼女との出会いから結婚まではこちらからどうぞ!

タイに移住するまでの自分が歩んできた軌跡(episodeⅢ)
タイの田舎暮らしにも適応してきたなと思っていた矢先、ウィルス性の風邪で熱・下痢・嘔吐の三重奏で三日間ダウン。改めてフリーランスしかも農的生活を営むには体が資本だと改めて感じている五十代アクティブニートの川島です。でも、まだ、ちょっと下痢ぴー...

 

2回くらいアタック(古い?!)したんだけど、前の彼氏と別れたばっかりだし、今は付き合う気ないって断られ(笑)

たぶん、3度目くらいのアタックで彼女のほうが折れた形で(笑)お付き合いすることに。

 

その後、半年後に~!運命の歯車が回り始める。

彼女
あの~。生理が来なくってちょっと調べたら、できたみたい!

このことをきっかけに、ボクは人生と真剣に向き合うようになった。そう、家族ができたんだ。その後、男の子・男の子・女の子と3人の子供も授かり、ダイビングインストラクター→建設不動産→ブランドリサイクルショップと業種は変わりながらも幸せに暮らしていた。

 

そう、あの事件が起こるまでは。(この事件については、後日、タイに移住するまでの自分が歩んできた軌跡で描き起こします)

簡単な事件の流れは、こちらからどうぞ!

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彼女は、ほんと、子煩悩で一生懸命子供を育ててくれたと思う。ボクが、仕事と遊びでほとんど家にいない状況の中でも立派に育て上げてくれた。

 

このあと、ボクはある事件をきっかけに家も車もお店もすべて失うことになるのだけれど、離婚して離れたあとも日本に帰国すれば、家族で一緒に食事にも行ける関係づくりをしてくれている。

当然、アタマにきていることはたくさんあるのだと思うのだけれど、今年2017年7月に長女の成人式の家族写真の前撮りのために一時帰国するよう辞令が下りた(笑)

 

 

そう、彼女Y.Kは家族の大切さについてボクに教えてくれた女性だ。

 

ボクの人生で、女性の怖さを教えてくれた女性 L.S(タイ人)

お次は、タイ人として初めて結婚させていただいた女性L.Sだ。

彼女との出会いは、初めて、友人(悪友「笑」)とタイ バンコクに遊びにきたのがきっかけだった。

男同士で、タイ バンコクに遊びにくるというとそう、夜遊びということになる。絶対ということではないが、93%くらいは夜遊びだろう(データは特にないので、あしからず)

ボクもご多分に漏れず、しっかり夜遊びでタイに嵌ってしまった口だ。

 

ボクは、友人ととあるゴーゴーバーというところに初めて行った。そこでの衝撃はまた、かめはめ波よりも凄かった!

そこで、踊る一人のタイ人女性のダンスに一目惚れ!(一目惚れ多すぎ)

その後、毎月タイ バンコクに来るようになり、5年後にはついに結婚をすることになる。(重婚ではないのでその点はご心配なく)

 

その後もタイ バンコクに月に7日ほど滞在して、タイではBTS(モノレール)の駅内キヨスク内でブランドショップの経営もしながら、3週間は日本で仕事をするという生活を12年間ほど続けた。

 

このころは、ブランドリサイクルショップの売上も700万円を超える月もあったりと順調だった。タイでもコンドミニアム購入→売却→一戸建て(ムーバーン)購入、車も購入とバカのひとつ覚えのように散財しまくった。

 

ところが、ある事件をきっかけに日本で、家も車もお店もすべて失いタイで現地採用として働こうかとタイ嫁L.Sに相談したところ、衝撃なパンチが帰ってきた。

ボク
日本も景気が悪いし、タイで現地採用として働こうと思うんだけど。
前タイ嫁
それ、無理っ!
ボク
えっ?!家もあるし、車もある。現地採用として働けば5万バーツ(15万円)は稼げるから大丈夫だよ。
前タイ嫁
いやっ!それ、無理っ!そんなんじゃ、足りないから!
ボク
えっ?!

 

どうやら、ボクに内緒で投資用のコンドミニアムを購入していたようなのである。確か3000万円ほどもするものだったと記憶している。

ボクも夫婦間で内緒にするようでは、夫婦を続けることはできないっていうと、あっさり?!

前タイ嫁
なら、別れましょ!

ボク
えっ?!かなりあっさり?!

 

タイでは、一戸建て(土地付き)は日本人が名義が取得できないため、また、車は嫁さん名義だったため、今後、ボクからは一切の援助はできないと言うことを了承してもらい、すべてを渡して離婚となった。

ただ、彼女がこうなったのもボクがすべてを与えすぎてしまったことによる影響も多いと思う。なんでも手に入ると錯覚してしまったんではないだろうか。

 

日本でもタイでも資産という資産がなくなった瞬間でもあった(泣)

 

そう、このタイ人妻L.Sには女性の怖さというものを教えられた

 

ボクの人生で、翼が折れたボクを救ってくれた女性 S.K(タイ人)

人生捨てる神あれば拾う神ありとは、よく言ったものでほんとうに拾われた(笑)

資産と呼べる資産もほぼなくなり、途方に暮れて訪れたタイ パタヤでボクは拾われた!そう、今のタイ嫁S.Kに救われた。

出会いは、タイ パタヤのバービアだった。途方に暮れて、バービアの通りを歩いていたとき、可愛い笑顔で声をかけてきてくれたのが彼女。(んっ?!なんか聞こえてきたぞ!そういう笑顔は誰にでもすんだよ!はい。その通りでございます)

その可愛いホッとできるような笑顔に一目惚れ!(また、一目惚れなんかい!!)

 

お互いの今までの人生を振り返りつつ、ゆっくりとゆっくりと話した。

ボクは、今、ほとんど稼ぎもないし日本からタイに移住しようと思っていること、現地採用として働いても最初はたくさん稼ぐこともできないことなども話した。

そんなボクでも応援してくれると彼女は話してくれた。

そして2013年11月からタイに移住し、タイ バンコクの現地採用として3年ほど働いたのちに、2016年10月からここタイの田舎町ペッチャブーンに移住した。

 

結婚するときも、結納金(タイでは結婚する際に両親にお金や女性に金を手渡すのが通例)などもお金が無いため、用意できないと話すと彼女が両親を説得してくれてた。

そんな彼女も今では、ボクの奥さんとなり今年2017年4月には待望の女の子が誕生予定だ。

今の自給自足な農的生活も彼女が目指していたもので、自然の中で過ごしたいというお互いの価値観が一致した。

 

こんなボクでも一生懸命愛してくれる。ただし、かなりのヤキモチやがり屋です。

翼もココロも折れたボクは、今のタイ嫁S.Kに救われた

 

まとめ

こうして、ボクの人生を彩ってくれた女性からは、たくさんの学びがあったように思う。愛についても家族についても、女性の怖さや母の強さ、女性の優しさ、すべてを教わった。

今まで、ボクの人生を彩ってくれた女性にはとても感謝している。ココロからありがとうと伝えたい。

 

それでは、今日はこのへんで。サワディクラップ!

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