タイの田舎暮らしにも適応してきたなと思っていた矢先、ウィルス性の風邪で熱・下痢・嘔吐の三重奏で三日間ダウン。改めてフリーランスしかも農的生活を営むには体が資本だと改めて感じている五十代アクティブニートの川島です。でも、まだ、ちょっと下痢ぴー!
今回は、ボクの歩んできた軌跡シリーズ エピソード3(Episode Part3)をお送りしたいと思います。
え~と、自分が歩んできた軌跡はどこまで話してましたっけ?!w あ、そうそう。最初の運命の人に出会ったところからでしたね。
ボクの歩んできた軌跡シリーズ エピソード2(Episode Part2)はこちらからどうぞ。
マリン事業部の責任者でスポーツクラブに入社
専門学校時代の女友達が、横浜のダイビングショップ時代、ボクがダイビングインストラクターをやっているということで、ボクを頼ってやってきた。
東京YMCAの専門学校時代、他のみんなより一つ上だったということもあり、みんなからリーダーって呼ばれた。ちなみに、2つ上の人は大将って呼ばれてたっけ(笑)
そんなこんな言いながらも、オープンウォーターダイバー、アドバンス、レスキューダイバー、ダイブマスターと嫌々ながらも取得していった。
そして、ダイブマスターを彼女が取得したころに、ボクのあの事件が勃発したのである。そう、ボクの彼女が乗っ取られ事件である。
すると、トントン拍子で話しが進み、スポーツクラブのゼネラルマネジャーとお会いすることに。
当初、まあ、だいぶ図々しいことを糞生意気な若造が言ったにも関わらず、面接に合格して晴れてスポーツクラブのマリン事業部に配属とは言っても、部下が居るわけでもなく、ボク独り(笑)
マリン事業部は、スキューバダイビングを柱に会社でクルーザーも所有しており、クルージングの企画運営などが主な仕事だ。まあ、スキューバダイビングひとつとっても、まったく何もない状態からのスタート。
ダイビング器材の準備からパンフレット(スポーツクラブの顧客をスキューバダイビングに興味を持ってもらえるよう)作りに至るまで、すべての準備を独りで行った。
つっ!ついに、運命の人に告白!
そんな慌ただしい生活を送る中、毎日、スポーツクラブのフロント業務を笑顔で対応している一人の女性に惹かれるように。
当時のスポーツクラブは、子供用クラスの水泳を教えていたこともあり、その子どもたちの対応に四苦八苦していたのが印象的だった(笑)あとで、聞いたら子供が苦手って言ってた。
別段、すごい美人でもなくめっちゃ可愛いわけでもないんだけど、笑顔が素敵でどんどん惹かれていったのを覚えています。
2回くらいアタック(古い?!)したんだけど、前の彼氏と別れたばっかりだし、今は付き合う気ないって断られ(笑)
確か、湘南平のテレビ塔で夜景を見ながら再アタックして成功!付き合うことになったのを今でも覚えてる。いや~、我ながらロマンチック(笑)東京や神奈川の方なら、この湘南平知ってる人も多いかも、
[note]湘南平(しょうなんだいら)は、神奈川県の平塚市と大磯町の境にある標高181mの丘陵で、高麗山(こまやま)と泡垂山(あわたらやま)の山頂一帯を指す。都市計画公園としての名称は、高麗山公園。地元ではかつて千畳敷と呼ばれていたが、公園として整備するにあたり湘南平と呼ばれるようになった。
引用元:ウィキペディア
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百獣のリア充になったボク
このころのボクは、まさに百獣のリア充だった(笑)
新しい彼女もできて、マリン事業部での仕事もスキューバダイビングではボクが作ったダイビングパンフレットで入会者も出始め、ダイビング講習も始まり事業が順調に滑り出していった。
彼女には、プライベートでスキューバダイビングを教えて休日は一緒にダイビングやスキーを楽しむ日々を送る。
入社して、1年たったころにはスキューバダイビングでパラオや沖縄、グアムなどのツアーも企画してこれも大当たり!
この頃になると、お客サンの中からプロ(ダイブマスター)を目指す人も出てきて、飛ぶ鳥を落とす勢い!
正に、百獣のリア充!完成(笑)
彼女の一言で、生まれて初めて人生と真剣に向き合うことに!
そんな百獣のリア充が、生まれて初めて人生と真剣に向き合うときが訪れます!
付き合ってから確か半年経った頃だったと。
まあ、そんとき頭をよぎったのは、彼女のお父さんにどう話そうか?!だった!
25年前の当時まだ、デキ婚なんて言葉がフランクに使える世の中ではなかったから(笑)
それと同時に、結婚するにあたりこのままダイビングインストラクターを続けていくか悩んだ。当時でこそ、会社のお給料が21万とPADIのIDC(インストラクター開発コース)の仕事で20万と月に40万ほど稼いではいたが、契約社員という立場もあり不安定この上ない。
ボクが出した結論は、親父に頭を下げて親父の会社に雇ってもらうことだった。親父の会社なんて入るつもりなんて毛頭なかったボクは、散々遊び呆けてきたからだ。ボクは親父の会社だから、そこそこ給料ももらえるだろうなんて甘い考えもあった。
当時、この共倒れするつもりで入ってこいの意味がまったく分かっていなかった。ボクの頭の中は、バブルで酔う世の中しかまだ映っていなかった。
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バブル時代(バブルじだい)とは、日本における1980年代後半から1990年代初頭の好況期のこと。バブル期とも言う。1986年12月から1991年2月までのバブル景気(第11循環の拡張局面)の時期。
引用元:ウィキペディア
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そう、やがてバブルが終焉を迎える足音がひたひたと迫っていることも知らずに...。
ボクが歩んできた軌跡 エピソード4(Episode Part4)に続く。。。
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