これからのボクの人生の最終章の真っ白なキャンバスにどのような軌跡が描けるのか、今は、ワクワクしています。
今のボクがあるのも、過去の色々なことを乗り越えてきた自分がいるからこそ。ボクが歩んできた軌跡を、少しずつ赤裸々に語っていこうと思います。
あの頃のボクへのメッセージを送るように!
うんち野郎の小学生時代
昭和42年にこの世に生を受け、幼少期は俗にいう『わんぱく坊主』で、小学校低学年の時に、梅泥棒をして地元の怖いおばちゃんに自転車を取り上げられ、『親呼んで来~い』って言われ、母ちゃんを呼びに行っておばちゃんに『なぜ梅泥棒なんかしたんだい』って言われたときに、ボクは、『母ちゃんが梅酒を作っているから、母ちゃんのために』って言ったそうで(笑)覚えてません(笑)
その時に、おばちゃんから、正直でええ子やってことで、母ちゃんがたんまり梅を頂いたそうです。
小学校5年生の時に、大事件が発生します。
もともと、腸の弱かったボクは、なんと、事も有ろうに学校で『うんち』を漏らしてしまいました(笑)
当然のことながら、仲間外れ!いじめっ子の対象になりました。
俗にいううんち野郎です!
今でこそ、笑い話になりますが、当時のボクとしては、かなりのダメージだったと(笑)
ただ、当時、足が速かったボクは、地区リレー(確か5地区)でビリで渡ったバトンを、
なんとごぼう抜きで、優勝に導きました。
当時は、負の連鎖を正の連鎖で、負の連鎖を断ち切ってきたと思います。
そんな小学生のボクが初めて購入したカセットは、松山千春の「起承転結」でした。テープが擦り切れるくらいまで聞いていた記憶があります。ちょうど、小学6年生だったと思います。松山千春の歌声がココロに染みました!ちょっと、おませな小学生だったかもしれません。
小学校の時期は、友人が栃木県 鹿沼市に引っ越した関係で、田舎のない私は、毎年、夏は2週間くらい泊りで行っていた。カブトムシを取ったり、オニヤンマ(トンボ)を取ったり。
この時の記憶が、『あの青臭い匂いとともに』脳裏に残っている。
今のボクの中に、確かに残るこの感覚!これからの私の人生において、とても大切なこの感覚!
体育教師に憧れ!体育教師を目指した中学時代。
中学校に入ると、1年生のころはバスケ部に入り、チーム内のライバルと次期キャプテンに名乗りをあげるほど、一生懸命やっていましたが、夏ごろになぜだか、急にやる気がなくなり、やめてしまいました。『このときの感情を今は、思い出すことができません』いったい、なんだったんだろうと思います。
これをキッカケに親に家庭教師をつけてもらうなど、『勉強に打ち込んだ』記憶が鮮明にあります。練馬でも、当時まあまあな公立学校『大泉高等学校』や『早稲田高等学院』などを視野に勉強を続けていました。親も大歓迎たっだ記憶があります。
中学3年になったころ、体育教師であり水泳部の顧問でもあった担任が変わったことがキッカケでまたも、180度方向転換します。この担任の先生がとても素晴らしく、当時の『不良』と呼ばれていた人間にも、人としてちゃんと接している姿をみて、『よし、ボクも彼のような体育教師になろう』と。
もちろん、親は、猛反対(笑)
しかし、ボクは、親の反対を押し切り、家庭教師をやめ水泳部に入り、進学先を、都立駒場高校 保健体育科と定め、体を鍛え始めた。ところが、ここで、またも問題発生。
こともあろうに、入試前に、友人とサッカーをしていた際に、ボールをキックしようとしたら、ゴールポストをキックしていた(笑)骨折こそしなかったが、右足にヒビが入ってしまった。
当然のことながら、保健体育科なので、体力テストがあります。50M走もあって、一時はどうなることかと思いましたが、びっこを引きずりつつも無事に完走。
無事に都立駒場高校 保健体育科に入学。部活は、陸上部に3年間所属しました。
この時の1年上の先輩との上下関係もうまくいかず、同学年で一緒に入った友人が、運動能力抜群で、東京都でも優勝、関東、そして全国へと。
[現在ですが、その先輩とはFacebookでつながって、こういうのも時が解決するものなんですねー]
その陰で、うだつの上がらないボクがいました。今思えば、よく辞めなかったなと。
そんな中でも、唯一、救いだったのが、ボクの周りにいた友だった。
その友のおかげで、3年間高校生活を楽しく過ごせました。
それでも、100M走で追い風参考ながら11.2秒を記録し、4×100Mリレーでは3走を務め都大会で2位につけて関東大会に進み、記録的には全国を見据えていたが、3走の私とアンカーの間で、バトンを落とすという1走と2走が2年生だたため、悪いことしたなあ~と。
ボクたちが都大会で記録した4×100Mリレーの42.5秒というのは、近年まで、駒場記録だったと記憶しています。今は、どうだか?!
その後、大学受験となるわけだが、あの時の感覚を今思い出すと、無気力だったというか。勉強もろくにせず、日本大学 体育学科を受験するも、当然ながら不合格!
ボク的には、落ち込むこともなくすんなりと受け入れられていたように思います。
その頃から、体育教師を目指している自分は、そこにはなく。
タイに移住するまでのボクが歩んできた軌跡(episode2)へ続く。。。
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