最近、25年来の旧知の仲の友二人からブログのことで忠告を受け、自分の存在価値を見いだせなくなっている五十代アクティブニートの川島です。この友人からのブログに対する忠告は、正論であり反論の余地はありません。このままブログを辞めればいいのかと悩んだ10日間でもありました。
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なぜボクが正論という刃物で切られたのか?!
7月に日本へ一時帰国した際に、25年来大変お世話になっている友人と言ったら良いのか恩師と言ったら良いのか自分より年上の二人の友人と三人で夕食を共にした際に、ブログのことで忠告がありました。その忠告とは、ブログに何を書いてもいいとは思うけど、日本にいる家族のことを書くのはどうかと思うと。
ボクとしては、自分の昔の家族があっての今の自分でもあるので、書かないわけにはいかないと説明して、タイへと帰国しました。
その後、タイから友人二人にLINEで連絡を取っても連絡が取れなくなり、そして一人の友人から
このLINEがきたとき、自分自身もかなりのショックでした。25年もの間、旧知の仲の友は、もちろんボクのすべてを知っていて、資金的にも援助していただいたり、毎度のことアドバイスをしてきていただいてきました。友人というより恩師と言ったほうが良い二人です。
旧知の仲の友がいうことは最もなことで、妹に押し付けるような形でお袋を一人日本へ置いてタイで好き勝手にやっている、日本にいる子どもたちも成人してみな仕事をしてはいるものの投げ出してタイへ来ている。そう思われても仕方ないことであるし、そんな駄目な自分は自分が一番よくわかっているつもりです。
正論という鋭い刃物で切られると人間はどうなるのか?
今回は、その駄目な自分を旧知の仲の友から正論という鋭い刃物で切られた感じです。友人の言っていることは正論であるし、駄目な自分も自分自身が一番分かっています。正論という鋭い刃物で切られてからというもの、なかなか寝付かれない日々が続きました。
幸いにも、クラウドソーシング祭りをしていたので、仕事に没頭できる時間があったのがせめてもの救いでした。
ブログがここまで自分を追い詰めるものだとも思いませんでした。
悩めば悩むほど、自己嫌悪に陥って自分の存在価値を否定するようにもなりました。このままブログを続けて行くべきなのか辞めるべきなのか真剣に悩みました。
旧知の仲の友からの正論は切れ味が鋭い
今回の旧知の仲の友からの忠告は正論であるし、反論の余地がまったくありません。また、ボクのすべての過去を知っている友人からの正論は、心にグッサリと刺さりますし、切れ味も鋭いです。
人生の忘れ物は、自分でもよくわかっていますし、忘れたことは一度もありません。ただ、今、自分の置かれている現状を考えて、最善のやれるべきことをやっていくしかありません。「自分が巻いた種子だろ」と言われても仕方ないことだということも認識しています。
旧知の仲の友が離れてしまう悲しさ
ブログが発端で、旧知の仲の友と離ればなれになる悲しさは、非常に辛いものがあります。また、ひとつ、日本へ帰る理由も無くなってしまった悲しさがあります。
自分自身も旧知の仲の友に真意を伝えきれなかった自分の愚かさに落胆するばかりです。
大変お世話になったにも関わらず、ブログがキッカケで旧知の仲の友の心を裏切ってしまったことに申し訳ないと思ってももう時は遅し。
ボクがブログで本音を語る意味とは?!
ボクが、ブログで本音を語るのは、誰かへのアドバイスでもなければ、誰かへの叱責でもない。自分自身の過去への懺悔であり、悔い改めるためにブログを書き続けています。
自分自身を見つめ直して再出発をして一歩踏み出すために、また、愚かな人生でも自分の人生の軌跡を残すためにこのブログを書いています。
また、昔の家族のことを書くことも自分の人生を語る上で大切なことであり、面白がって取り上げているわけではないということです。
自分の心の叫びを文字に起こしているのが、このブログです。
正論で切られたブロガーはブログを辞めるべきなのか?!
今回、ボクは、旧知の仲の友から正論という刃物で切られたわけですが、ブログをやっているブロガーはみなこのような経験はあるかもしれません。
正論という鋭い刃物で切られてブログを辞めてしまう人も多いのではないでしょうか。ボク自身も辞めてしまおうと思いましたから、本当に。確かに、正論で切られると心をえぐられるように切り裂かれてしまうこともあるでしょう。
では、正論という刃物で切られたブロガーは、ブログを辞めるべきなのでしょうか。
それは、自分の信念がどこにあるかにもよるのではないでしょうか。ボクは、このブログで将来、本気で生計を立てていくつもりでこのブログというものに挑んでいます。ちょっとやそっとで簡単にブログで生計が立てられるとも思っていません。
タイの田舎で、最大限できることをやっていく覚悟でやっています。そういう、自分自身の信念があるのであれば辞める必要はないと思います。
ただ、信念を貫こうとするときには、ボクのように失うものも大きいかもしれません。
それでもボクはブログを辞めないと決めた
旧知の仲の友人の正論という鋭い刃物で切られてから10日間、考えに考え抜いた結果、ボクはブログを辞めずに書き続けることを選びました。
昔の自分とこれからの自分と向き合うためのブログを辞めるわけにはいかないと思いました。
今後も本音という魂をこのブログにぶつけていきたいと思います。


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コメント
こんにちは。
時々拝読させて頂いております。
正論という物は、視点一つで正論ではなくなります
物事に答えは一つではなく、友人の方々が言葉をかけるに至る答えは、必ずしも万人に共通するものではありません
なぜなら、それぞれ立場が違うからです
私はインターネット普及前のパソコン通信の時代から掲示板等を開いていて、何度となく存在意義も含め様々な指摘を受けてきました
しかし、反対にはその場を求める人や理解を示す人もおりました
こんな時はどちらかの立場に…と考えがちですが、そんな必要はありません
だって、その人達は相手の為と言いつつ、その立場に対して責任を持って発言してるのではないからです
アドバイスならまだしも、人間関係に及ぶ程の言葉は友人であるからこそ、最後は見放すのではなく最後は受け止める気持ちで言うべきだと考えます
私の40年来の友人は「だからお前は馬鹿なんだよ」と言いながらも最後は笑ってます
私には私の事情や考えがあってそうしてるのだと尊重してくれてるからです
馬鹿な奴だな、しょうがない奴だな…と言われたりしますが、自分の道を歩かないなら生きてる意味がありませんもんね
こんにちは。コメントありがとうございます。
ブログも見ていただいているということで、ありがとうございます。
おしゃる通りで、今は前を向いて歩いていくしかないと思っています。
ひとつの事柄には、両側面がありひとつの物事だけでは片づけられないことがありますね。
これからも一歩ずつ前を向いて歩いていこうと思います。