五十の手習い!タイの地で足るを知る

タイに移住するまでのボクが歩んできた軌跡(episodeⅡ)

こちらの記事は、2015年12月13日にポストした記事の大幅リライト版になります。

 

タイの田舎町ペッチャブーンにて移住して早4ヶ月が経ちました。少しずつ、タイの田舎暮らしにも適応しつつある五十代アクティブニートの川島です。

 

今回は、ボクの歩んできた軌跡シリーズ エピソード2(Episode Part2)をお送りしたいと思います。

なんせ、ボクの人生はプロフィールなんてもんで収まるような内容ではありません(笑)

ボクの歩んできた軌跡シリーズ エピソード1(Episode Part1)はこちらからどうぞ。

タイに移住するまでにボクが歩んできた軌跡(episodeⅠ)
これからのボクの人生の最終章の真っ白なキャンバスにどのような軌跡が描けるのか、今は、ワクワクしています。 今のボクがあるのも、過去の色々なことを乗り越えてきた自分がいるからこそ。ボクが歩んできた軌跡を、少しずつ赤裸々に語っていこうと思います...

初!告られ。「赤いスイートピー」を歌いながら告られた!

ボクが歩んできた軌跡 エピソード1(episode1)からの続きになりますが、大学受験に失敗した僕は、歩みを進めるための目標が必要でした。

一般的より運動神経も良かったことから、また、当時、スポーツクラブが流行りはじめていることもありスポーツ指導員なろうと、半ば強引に目標を決め、町田にある名前を正確には覚えていないのですが、社会体育専門学校に入学しました。

 

と同時に、地元で『Yesterday 』というすかいらーくグループのレストランでバイトの日々。バイト仲間と過ごすことが楽しくなり、バイト時間も夜8時から朝4時まで働くことが多くなり、当然、学校も遅刻欠席が多くなりダメダメ人間まっしぐら!

 

18歳のダメダメ人間だったのですが、同じバイト先の2つ年上の女性から告られる!今でも忘れもしない松田聖子の「赤いスイートピー」を歌いながら告られました。これは、ちょっと感動的でした!

 

後にも先にも歌いながら告られたのは、これが最後です(笑)

こちらからどうぞ。

18歳の冬あたりからスキーに目覚め、バイトで貯めたお金で定期的に戸隠スキー場に『山籠もり』するようになり、スキー検定 SIA シルバーに合格した後は、スキー場で初心者の子供たちを中心にスキーを教えていました。

 

このスキーにハマり、山篭りをしているときにあの「赤いスイートピー」を歌ってくれた彼女からフラれました。あっけなく(笑)

 

その後、同じバイト先の『Yesterday 』に新しく入ってきたアルバイトの女の子に一目惚れ!しかも、メチャクチャ可愛く美人さんでした。のちに、この可愛い彼女が寝取られることになろうとは(泣)

 

スキューバダイビングにどハマり!インストラクターになっちゃった?!

 

バイト先では主要メンバーともなり充実していましたが、学校には行かなくなり春には環境を変えようと、東京YMCA社会体育専門学校に入学することになります。が、入学して夏を迎えたころから、スキューバーダイビングに目覚め、練馬にありました『Fraiday』というダイビングスクールにお世話になることになります。

 

PADI オープンウォーター~レスキューダイバー~ダイブマスター(プロ)へと順調にライセンスのランクをアップグレードしていきました。20歳になったと同時に、オープンウォーターインストラクターの試験にもパスし、晴れて当時は最年少インストラクターとして、PADIインストラクターとしての人生を歩み始めました。

 

その後も、PADI マスタースクーバートレーナー~IDCスタッフインストラクター(インストラクターを養成するスタッフ) の資格を取得し、結局、東京YMCAにもいかなくなり、22歳の時に当時僕がPADIインストラクターになる際に担当して頂いたIDC STAFFの方が横浜でダイビングショップを開くというのでお手伝いを頼まれ、そのまま就職となります。

 

このPADI IDC STAFF(インストラクターを養成するスタッフ)での経験は、ボクの人生を豊かに彩る必殺技を手に入れさせてくれました。

人に教える。しかもインストラクターレベルに学科や実技講習を教えるという立場が、たくさんの人前で専門的なことを話す技術を若干22歳で手に入れられたのは大きかったですね。

 

18歳~22歳にダイビングショップに就職するまでのお金の使い方は異常でしたね。バイトで稼いだお金はほとんどつぎ込んできましたし、足りないお金は、親のすねをかじりまくりましたね。

 

親にも学校関係で、数百万単位で出費をさせてしまい、結局すべてパーですから、酷い息子でした。

時期的には、父親がバブル真っ只中!でしたからね。のちに、弾けるもの知らずに!!

 

人生の前半で、衝撃的な事件が発生!

 

その後、勤めていたダイビングショップで、かなりショックな出来事が起こります。
ボクが19歳から3年ほど付き合っていたあの可愛く美人の彼女をお客さんに寝取られたのです(泣)しかも!しかもですよっ!ボクの誕生日の朝に置き手紙でそのことを知らされました。人生最悪の誕生日になったのは言うまでもありません。

その寝取った相手が、なんと!なんとっ!僕がオープンウォーターからダイブマスターまで育てたお客さんにです。信用していただけに、心が粉々になった記憶があります。

 

ボク自身、その彼女に寂しい想いや辛い想いをさせてきたのも事実です。彼女曰く、そんな僕の相談をしていたら襲われたとのことですが、真相は定かではありません。

 

粉々に砕けたこころを癒すためには、環境を変えるしかないと思い、東京YMCAの時に友人だった女の子(ボクがダイブマスターまで育てた)が働いていたスポーツクラブでマリンセクションを立ち上げるための人材を探しているということもあり、転職することになります。

 

世の中は当時、バブル真っ只中!!クルーザーなども使えるということで、僕は、広島に小型1級船舶免許を所得し、マリン事業部に必要な資格を引っ提げて新しい会社に乗り込むことに。

 

そこで、最初の運命の人に出会います。えっ?!最初???

 

ボクが歩んできた軌跡 エピソード3(Episode Part3)に続く。。。

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